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夏蕎麦 Ⅱ

 昨日は蕎麦の根もとに土寄せを行った。蕎麦は倒れやすいのである。
13日に蒔いた種が発芽してから、2週間が過ぎた。そばの成長は本当に早い。
もう20センチにもなっている。Natusoba02_1
 この成長振りだと、他の草よりも早く大きくなり、蕎麦の周りは日陰になり、草達は太陽エネルギーを得ることができずに、大きくはならないだろう。蕎麦畑は雑草が生えなくらる。さらに、根からは雑草が嫌う物質を出して生えないようにしているらしい。

 蕎麦は穀物の中ではめずらしくタデ科に属するという。「タデ食う虫も好き好き」と諺にもあるように、たいていの虫はタデを食べないそうだ。蕎麦畑は害虫が少ない理由もここにある。Natusoba03_1
 蕎麦の葉は薄くてハート型をしている。よく観察していると判るが葉は3日に一枚のスピードで出てくるようだ。

 茎のしたの部分は赤くなる。気温が低いと赤くなるといわれるが、写真を見ても判るように夏蕎麦でも赤いのは何故だろう。
 
 

 

 

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夏蕎麦

 今月の13日に、遅くなったが実験的に夏蕎麦を蒔いてみた。
そばの成長は早い。もう十数センチに成長している。Natusoba01_1 そろそろ土を寄せる作業に入る頃である。
 この3日間は少し忙しかったので、疲れており、夕方、作業は休むことにした。

 秋蕎麦は収穫したことが何度もあるので少しは様子がわかる。
 夏蕎麦は初めての経験なので、収穫できるのかさえわからない。
 蕎麦はやせた土地で、だれでも作れるように云われるが、どうしてどうして・・・なかなか難しい作物である。

 作ってわかることだが、蕎麦の花は白く畑一面に咲く。
 花が咲いても安心できないのである。実があまりつかないのである。それはほど多収穫にならないことがわかる。
 それに気候によってか、あるいは肥料によってなのか、いまだに判らないのは香りや甘みがその年によって違うのである。

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天おろしが人気

 今日は5時に起きて、蕎麦汁を作った。私としては、当日朝、作るのはめずらしい。
何時もだと前日の作業になる。

 金曜日に営業を始めてから、今週で2回目。昨日は予定よりお客様が多かったので
本日の蕎麦汁が足りなくなってしまった。
 今月から、天おろしを新メニューに入れたのが、結構人気にTenorosi なっている。ぶっかけで召し上がっていただくようにしているので、そば汁が一合ぐらい使うので、足りなくなるのであろう。
 今までのように、もり汁だけでの基準で作ると足りないということになってしまう。
 
 金曜日は予約なしの「売れ切れ御免」にしたが、まだお客様には理解されていないようである。
 それにしても、昨日は土砂降りの中、遠方からもよく来てくださった。ありがたいものである。
 仕事の打ち合わせを兼ねて来店してくださった、ある有名建設企業のお客様が「美味しかったよ」と、次の予約を入れてくれた。 感謝 感謝である。
 
 土、日は従来どうり、予約である。
 

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蕎麦ってどうしてそば汁だけで食すの?終章

 ここで醤油の起源を少し探ってみよう。
 ショウユは醤(ヒシオ)と油と書く。醤油の元となる醤は、肉や魚を叩いて潰し塩で漬け込み、発酵しさせて作る。油とは古い時代は液汁のことを指したそうである。
 紀元前700年前の頃、中国の古文書に醤と記されているので、この辺がルーツなのかもしれない。
 
 日本では、縄文時代にもひしおらしきものは発見されていれるが、本格的に作られるようになったのは大和朝廷の時代だそうである。
 奈良時代(710~784年)に中国や朝鮮から「穀醤」が伝わってきた。これが現在の日本の醤油の原型と云われている。
 奈良時代から、1000年後、現在のような醤油が江戸に出回るのは19世紀に入ってから、関東産の濃い口醤油(ヤマサ醤油は創業 1645年)が大量に生産されたからだという。
 
 江戸時代、芝居小屋や遊郭の近くに店を構える蕎麦屋増えてきた。蕎麦屋は待合にもよく使われ、その二階といえば逢引の場として絶好の場所だった。
 お客は食事を取るというより、色事の前のおやつ感覚で食べていたのだろうと予想することもできるのである。
 気の早い江戸っ子職人が、小腹が空いて、屋台の蕎麦屋で蕎麦をさっと手繰る時も間食程度であったのではないか。
 今で言うファーストフードとして定着していったのである。

 さて、本題の「蕎麦はそば汁以外はついていなくても食しますよね。どうしてでしょうか。」との質問についての答えとは・・・。

 ファーストフードとして定着していった蕎麦はさっと手繰って食べる粋な江戸っ子の伝統が、今でも伝わっていると思う。
 もう一つの理由は、やはり、蕎麦独特の香りと味を愉しむ日本人の味覚がそうするのだと考える。
 しかし、私の郷土の蕎麦はうどんほどある蕎麦をけんちん汁で食べていた。岩手北部にはそばっかけという味噌仕立ての料理もあるという。
 昔から、田舎の蕎麦料理は江戸っ子のような粋な食べ方はない。このようなことを考えに入れると蕎麦は、必ずしも、江戸っ子のように、辛ら汁に少し浸けてさっと手繰るような食べ方が正当ということでもなさそうである。
 外国にも蕎麦料理は数々ある。そば切りを食べるのを見て、外国人は「本当に美味しいと思っているのだろうか。」と疑問を投げかけるそうである。

 それぞれの国にはそれぞれの食文化の歴史がある。外国人には、そば切りをそば汁だけで食すのは日本人独自の食べ方と写るのであろう。

 参照サイト 醤油の豆知識 北伊醤油
 参照文献  そば打ち教本 そば大全

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蕎麦ってどうしてそば汁だけで食すの?Ⅲ

享保の改革を行ったテレビに暴れん坊将軍として登場する8代将軍吉宗の時代に蕎麦の食べ方が進化を遂げるのである。
 蕎麦汁が味噌から醤油へと替わっていくのである。
 元禄時代は、味噌に酒、水を加えて混ぜ、鰹節を入れて煮立て、濾過した味噌だれを作り、うどんや蕎麦を食べていたのであが、享保11年(1726年)の頃になると上方から送られてくる醤油が使われるようになった。醤油は関西圏の方が早く江戸初期にはよく使われていたという史実が残っている。
 さて、蕎麦と関係の深い江戸っ子という呼び名は、享保年間に使われだし、その後、一般化していったそうだ。
 将軍様のお膝元に住んでいることを自慢し、住民自らを江戸っ子と称す。
 江戸っ子はもたもたするのが大嫌いで威勢のいい啖呵をきる。蕎麦を食べるときはつるつると手繰りこむ。手繰りこむのに適している蕎麦が二八そば。
 享保の中頃に、二八即けんどん(蕎麦の異称)という看板を出すと「還魂紙料」に書かれているので、江戸っ子という呼び名と二八そばが現れたのは同時代であることが判る。

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蕎麦ってどうしてそば汁だけで食すの? Ⅱ

  ・・・昨日の続き・・

 蕎麦の発祥地は中国雲南省付近とされておりますが、日本に伝わってきたのはいつ頃でしょうか?。
 中国から朝鮮半島を渡って約三千年前、米よりも千年近くも前に根づいた云われておりますが、広く栽培されるようになったのは五世紀の中ごろということです。

蕎麦という文字が書物に登場してくるのは、養老6年(722年)の続日本記に元正天皇の詔としてである。このときは米が不作で、蕎麦、麦が奨励されたという。
 
 では、蕎麦切りとして食べられるようになったのは何時頃なのでしょうか。
 蕎麦切りという言葉が書物に中で取り上げられたのは、慶長19年(1624年)に書かれた「慈性日記」が最初とされている。慈性は近江多賀神社の社僧で、江戸の常明寺で蕎麦切りを振るまわれたとある。
 慶長年間は豊臣秀吉(1598年没)がなくなり、関ヶ原の戦い(1600年)などがあり、徳川家康が江戸幕府を開いたのが1603年、天下が変わる時代でもあった。
 徳川家康が亡くなったのが1616年である。年代から見て、秀吉も家康も蕎麦切りは食べていないことになる。
 
 現在食べられている蕎麦きりは江戸時代中期に登場するのであが、この頃になると、そば切りと呼ばずに「蕎麦」で通用するようになっていたという。    
 江戸時代中期には華やかな元禄時代あり、犬公方として有名な5代将軍綱吉が約30年間在位した期間であり、TVや映画でおなじみの諸国漫遊を兼ねて藩政視察の世直しの旅に出た水戸黄門が活躍した時代でもあった。
 さらに、芭蕉、西鶴などの町民文化が栄えた時代。芭蕉は「蕎麦はまだ花でもなす山路かな」と詠い、西鶴の好色一代女(1718年)の文中に「女ながらも美食好き、鶴屋の饅頭、川口屋のむしそば・・」とある。  この頃江戸では蒸し蕎麦から、茹で蕎麦に移ってきた。赤穂浪士の討ち入りがあったのは元禄15年、そば屋の二階に集合して蕎麦を食べた話は有名である。さて、この時食べた蕎麦は、蒸し蕎麦か茹で蕎麦か興味があるが、今となっては、食べたかどうかも分からない。

 参考文献 蕎麦辞典 槙原路郎著   そば学大全 俣野敏子著
        
 

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蕎麦ってどうしてそば汁だけで食すの?

  お客さん曰く。「最近はご飯と味噌汁だけの食事はお目にかかったことありませんよねー。」そうですねと相づちを打つ。
 「蕎麦はそば汁以外はついていなくても食しますよね。どうしてでしょうか。」とお客様から、尋ねられた。
 一瞬、えっ! と戸惑い、直ぐには答えられない。自分も他店に行って食べる時はもり蕎麦にしている。蕎麦の美味しさがストレートに伝わるからである。
 蕎麦は米と違って、独特の風味と味があるからであるが。このようなことでは、お客様の答えにはならないであろう。
 私はそのときとっさに「江戸時代の頃、そばは間食としてよく食べられていたそうですよ。職人さんが小腹が空いた時に蕎麦をさっと手繰るとか、旦那衆が吉原に繰り出すまえに、蕎麦前で一杯やって、蕎麦をさっと手繰り出かけたとかと聞いておりますが!。」答えた。
 しかし、この答えでよかったのであろうか。仕事を終えてから、疑問点が出てきた。
 蕎麦の歴史から、考えるとどうもそんな単純のものでないことだけは確かである。

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ブルーグラスを奏でるお客様

 昨日、常陸太田市里美でライブを行ったメンバー8名(大半が東京、神奈川方面)が、わざわざに寄って下さいました。
 その里美は常陸太田から、福島県八郷に抜ける街道沿いに位置する。以前は里美村であったが、平成の大合併で常陸太田市里美となった。最近は蕎麦街道といて売り出し中である。

 その里美で蕎麦を食べずに、わざわざ当店を選んでくれた金森さんに感謝したい。氏は以前、ご家族でお見えになり、そのときの蕎麦が忘れられなかったとのこと。このような言葉が聞かれるとは、本当に嬉しい。

 

 

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孔雀サボテン

 今日の朝、見事な孔雀サボテンが咲いた。
 メキシコ地方原産であるらしい。赤や黄色、白の花とKujyaku いろいろあるらしいが
 開いたのは赤というか薄い紫がかった赤である。
                
  花びらが長く、見栄えのする花である。この花は残念なことに一日で終わりになるのでおいしい。

 花の命は短いらしい。
 6月10日の姿です。しおれてきています。


 Kujaku

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中川根町 四季の里

 次の日、朝風呂に入る。深夜遅くまで飲んでいたわりには頭も痛くなくすっきりとした朝であった。

 部屋続きの露天風呂を1人ゆったりと朝から堪能した。朝風呂は何とも気持ちのいいものである。
 この宿舎からは10メートルも離れていないところある線路の上を大井川鉄道の電車が朝早くからゴトンゴトンと走る。
  
 遅い朝食をとった後、当日の行動予定を特に決めていなかったので、M氏を中心にみんなの意見を聞こうと云うことになった。

 

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川根温泉と花の舞

 川根温泉コテージに着いて、早速、男性軍が風呂に入る。Kawane01

 私達夫婦以外は、昨年もこの温泉宿舎を利用していたので、それほど感激はなさそうだが、私はびっくりした。 内湯も外湯も天然温泉のかけ流しであった。

 このコテージの概要はというと、上流に向かって、左側が大井川のせせらぎ、右側がSLの汽笛という全国でもめずらしい温泉である。どんなもてなしにも勝ると思う。
 コテージは10棟の完全独立型コテージのすべてにいろりと温泉桧風呂付。
私達が宿泊した8人棟は露天風呂付。

 (写真のような宿舎が10棟ある)


 

 

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掛川 加茂花菖蒲園

 車中、妻が「お父さん 負けたね。」という。負け惜しみではないが、確かに、蕎麦の一つの方向を極めた味であった。
 妻はこのような甘みのある喉越しのよい蕎麦が好きなのだ。私はどちらかというと少し田舎蕎麦に近い蕎麦を打つほうが好きである。
 
 三人共、つど野の蕎麦に満足して、義母の入居している介護施設に向かった。

 明けて静岡三日目、早朝、息子は名古屋に向かった。
 
 この日は妻のいとこ達三組のご夫婦と川根温泉にゆくことになっていた。

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笊蕎麦 つど野 Ⅱ

 ご主人に会いたいという私を見て、息子がまた始まったかという目で見ている。
 息子の方が私より気遣いができる人間である。今回も仕事中の主人を引っ張り出すのはやめたらとその目が訴える。
 しかし、私はこの美味しい蕎麦の秘密を少しでも知りたいとの気持ちの方が先走る。

 「ちょっとお待ちください。」と花番さん。

 間もなくして、ご主人が現れる。Tudono03

 「忙しいのに申し訳ないですね。ちっとお話を聞かせてください。」と私。
 
 
  

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笊蕎麦 つど野

 玄関を入り、靴を抜いていると、 いらっしゃい! と明るい声。
 見ると若い花番さんがニコニコと迎えてくれた。Tudono06

 天井が高く、明るく広々としている空間が広がる。まだ新しく気持ちがいい。
 従来の蕎麦屋とはイメージが違う。
 

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静岡 笊蕎麦 つど野

 今年、二回目の静岡への旅である。
 
 今週始めの月曜日、妻が朝8時のスーパーひたちで立つ。わたしは午後に日立市役所で会議(e-ひたち計画市民の意見を聴く会)が入っていたので、やむを得ず午後5時のスーパーひたちで立つことになった。

 * e-ひたち計画とは―日立市情報化推進基本計画―をさし、平成14年度より推進されているものである。
   

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