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蕎麦ってどうしてそば汁だけで食すの? Ⅱ

  ・・・昨日の続き・・

 蕎麦の発祥地は中国雲南省付近とされておりますが、日本に伝わってきたのはいつ頃でしょうか?。
 中国から朝鮮半島を渡って約三千年前、米よりも千年近くも前に根づいた云われておりますが、広く栽培されるようになったのは五世紀の中ごろということです。

蕎麦という文字が書物に登場してくるのは、養老6年(722年)の続日本記に元正天皇の詔としてである。このときは米が不作で、蕎麦、麦が奨励されたという。
 
 では、蕎麦切りとして食べられるようになったのは何時頃なのでしょうか。
 蕎麦切りという言葉が書物に中で取り上げられたのは、慶長19年(1624年)に書かれた「慈性日記」が最初とされている。慈性は近江多賀神社の社僧で、江戸の常明寺で蕎麦切りを振るまわれたとある。
 慶長年間は豊臣秀吉(1598年没)がなくなり、関ヶ原の戦い(1600年)などがあり、徳川家康が江戸幕府を開いたのが1603年、天下が変わる時代でもあった。
 徳川家康が亡くなったのが1616年である。年代から見て、秀吉も家康も蕎麦切りは食べていないことになる。
 
 現在食べられている蕎麦きりは江戸時代中期に登場するのであが、この頃になると、そば切りと呼ばずに「蕎麦」で通用するようになっていたという。    
 江戸時代中期には華やかな元禄時代あり、犬公方として有名な5代将軍綱吉が約30年間在位した期間であり、TVや映画でおなじみの諸国漫遊を兼ねて藩政視察の世直しの旅に出た水戸黄門が活躍した時代でもあった。
 さらに、芭蕉、西鶴などの町民文化が栄えた時代。芭蕉は「蕎麦はまだ花でもなす山路かな」と詠い、西鶴の好色一代女(1718年)の文中に「女ながらも美食好き、鶴屋の饅頭、川口屋のむしそば・・」とある。  この頃江戸では蒸し蕎麦から、茹で蕎麦に移ってきた。赤穂浪士の討ち入りがあったのは元禄15年、そば屋の二階に集合して蕎麦を食べた話は有名である。さて、この時食べた蕎麦は、蒸し蕎麦か茹で蕎麦か興味があるが、今となっては、食べたかどうかも分からない。

 参考文献 蕎麦辞典 槙原路郎著   そば学大全 俣野敏子著
        
 

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そば処 暁山」カテゴリの記事

コメント

 仰る通り、食文化は時代とともに変わって行きますね。
 特に、現代は世界の食が日本に集まっております。
日本食文化も少なからず影響を受けています。

 蕎麦の食べ方も時代とともに変わっていくかもしれません。

投稿: そばがき | 2007年6月18日 (月) 11時24分

食べるのと いらん事言ううだけの 蕎麦好きですが
歴史の中の 食文化としての 色合いが濃いと思います。
お米も 蕎麦も パンでも 今は 食べなくても
十分生きていける世の中では 何を食べるかは
その人の 勝手な選択にゆだねられます。
醤油が出回って つゆができたとか・・・
もっと美味しい食べ方があれば 食べ方も
いづれ変わっていくかもしれません。
味噌、醤油系つゆ、塩にしても
蕎麦の味を 引き立てる物だと考えています。
おやつや 食事だった 蕎麦切は
今は 嗜好品です。幸せな時代ですね

投稿: x-x-x | 2007年6月18日 (月) 09時26分

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