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友人のお通夜

昨日、友人T氏のお通夜に出かけた。

私と同じ66歳。早すぎる死であった。病名は「胃がん」

 お棺の中の彼の顔は安らかであったが、「ただただ・・残念!」と

言うほかはない。

 まだまだ、やり残した仕事があったろうに。

 明るく笑って「なー、関さんよー。」と声を掛けて来る

彼はもうこの世にはいない。

 高校卒業後、努力して、30代で機械メーカーの社長になった。

 時代を見る目が鋭く、高度成長期は機械の製造、販売。

 日本が低成長期に入った後は、アパレル業界へと進出し、いくつかの

会社を運営していた。

 交友関係も広い。仕事上の社長さんたち、浅草の某河豚有名店の社長さん、

お医者さん、浅草某有名ホテルの支配人、

昭和の大横綱親方等、挙げれば数かぎりなくある。

 彼との付き合いは長い。30数年前まで遡る。

私をこの高校に来ないかと誘ってくれたのが、

彼の高校時代の担任をしていたS氏であった。

 元校長S氏の紹介で彼と知り合った。

 当時、勤務していたその高校はまだインターハイに

出場できるクラブがなかった。

 私が指導していた水泳部が全国大会に出場した折に

「後輩達が頑張っている。」とS氏から、声がかかり、開催されていたインターハイに

川口市で

応援に駆けつけてくれた。

これが彼との始めての出会いであった。

学校の予算は限られており、必要なものも買えない。

 こんなときは、必ずといっていいほど、

彼にはいろいろとお世話になった。

水泳指導に必要な器具等も寄贈を受けたことも多々あった。

 

 私が家の事情で高校を退職してからも、付き合いは続いていた。

東京に用事があって出向いたときなど、決まって彼に電話をした。

 「夕方には仕事が終わるよ。ホテルのロビーで待っていてよ。」というのが

決まり文句であった。

 そして必ずそのホテルにあるすし屋でご馳走になった。一度も私に

払わせたことがなかった。

 カラオケを歌うと玄人はだしで、村田英雄の無法松の一生が得意。

面倒見のいい親分肌の彼はもういないのだ。              

                      ・・合掌・・

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