« 無篩いのそば粉で打つ | トップページ | 藪蕎麦 宮本 »

蕎麦の実り 50日目

 今週の月曜日から、義母の様子伺いに静岡にいっていた。

目がだいぶ悪くなってきて、近くに行っても、誰が来たか判らないのだが

声を聞くと、娘の声や私の声はよくわかる。

 先月で義母は93歳になった。頭のほうは、それほどボケているわけでもなく

話が分かる。

 私が手を取って、話しかけると「遠くからよく来てくれたねー」とうれしそうに

話しかける。今年の春までは、車椅子の世話にもならずに、歩いていたのであるが

転んで骨折してからは、車椅子の生活になった。

 「気持ちだけはしっかりしなくてわね」と帰り際にいった言葉が胸に刺さった。081012_07360003

帰ってきて、そばの様態はと見ると、数箇所にもう黒い実をつけていた。いよいよ

実りの季節に突入である。

|

« 無篩いのそば粉で打つ | トップページ | 藪蕎麦 宮本 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ねこやしきさん
名古屋にに出張されたのですね。
 「老害の極みを見て」の具体的な内容は想像するはかありませんが、私も67歳になりました。自分を顔を見て、老いを感じるとしになりました。
 人は否応なしに年を取ります。義母の様に、長生きしてもボケないようにと心がけてはおりますが、こればかりは判りません。
 人様に迷惑をかけないという自信もありません。
 

投稿: そばがき | 2008年10月15日 (水) 07時22分

そばがきさん、ご無沙汰です。先日私は名古屋に行きまして、某所で老害の極みを見て(その気はなかったのですが、そうなった)きました。それで、老いるとは何とうたてしものよと思っていたところに、この記事を見ました。よく考えたら、お義母様と、例の老害を撒き散らしていた人たちとでは、それでも30歳近く違います。何かが満たされないからあの人たちは撒き散らすのでしょう。あの人たちの1秒と、お義母様の、そしてその言葉を受け止めるそばがきさんの1秒とでは、重みと深みが違うと思いました。己を知ること、足るを知ること、そして他者に思いやりを持つこと、これが歳をとるということなのかなと、思ったねこやしきでした。

はからずも、ソバが成長を続けているとの追記。同所にこのような言葉を見つけ、をかしさを感じました。

投稿: ねこやしき | 2008年10月15日 (水) 00時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 無篩いのそば粉で打つ | トップページ | 藪蕎麦 宮本 »