庭の石組み
「蕎麦、そば、ソバ」の楽しき人生
ネットでソバの本をチックしていたら、「蕎麦、そば、ソバ」の楽しき人生という本を検索いたしました。
| 「蕎麦、そば、ソバ」の楽しき人生 |
本年4月に、出版されたての本です。著者は嘗て築地そばアカデミー学長であった永山寛泰氏である。
現在は、プロのためのそば教育「永山塾」を主催しております。
検索していた本の紹介文を読んでいたとき、どこかで一度お目にかかったようだと直感的に思いました。
「ロマンは蕎麦にあり~スロウエイジング蕎麦~」のブログを私のお気に入りに、入れていたのでした。
そうだ。あのブログ! 大変勉強になったことを思い出しておりました。
私のように、ちょっとそばが打てると、有頂天になり、そば屋になってしまった物にとっては、バイブルのような本です。
そば屋にとって、そばを打てるなどは、当たり前の、またその前のこと。開業して、6年目になりましたが、まだまだ、本格的に修行した方には、足元にも及びません。
「第一章 そば料理七変化」 「第二章 抜きで一杯、種ものの楽しみ」 「第三章 蕎麦屋のポリシーは薬味に出る」 「第四章 そばを食べよう、打ってみよう」
以上のような内容です。
永山氏の文章は軽快で、読む人を飽きさせない。さらに、その内容は、さすがに、30数年のキャリアである。私など、足元にも及ばないほどの含蓄のある内容になっている。
そば打ちの本は数々あるが、私のようなそば屋にとって、これほどためになる本は数少ない。
蕎麦の打ち方と蕎麦屋の料理はこの本、蕎麦屋のトータル的な経営を学びたいのなら「
| こだわり蕎麦屋の始め方 |
」著作は鎌 富志治氏と最近は良い本が出版されている。
そば処 暁山 の場所は? そしてお客さまに感謝!
先日、遠方よりお出でくださったお客様がおりました。お蕎麦が大好きだという
特に、お代わりした固めの御蕎麦が私たちの好みに合致して、ペロリと食べてしまいました。

妻も、10秒で、あんなに違うのかと、また緑色が入ったお蕎麦に驚いていました。
また、手繰り寄せると、蕎麦の香りをすごく感じられました。
今回は、レンタカーを借りて、乳児を連れての初旅行となりましたが、
お蔭様で、とても良い旅となりました。 場所柄、なかなか頻繁には行ける場所ではないですが、
ぜひ、また寄らせて頂きたいと思いま
した。その際は、宜しくお願いします。」
そばがきについて
私のハンドルネームが「そばがき」という。
昨日のお客様が「そばがき」で検索していたら、「そば処 暁山のホームページに辿りつきましたよ。どんなそば屋かとおもって・・・?」と訪ねて来ました。
その方は、私のハンドルネームを知らなくて、そば粉で作ったそばがきと思ったらしい。
昔、私が食べたそばがきは、祖母が、そば粉に熱湯を注ぎ思いっきり強く練り上げて作ったものである。
その頃は、そばがきをそれほど美味しいものとは思っていなかったが、今になって、その味を思い出すと、素朴で、蕎麦の香りが強く、甘みとエグミが相まっている味であった。
今風の上品なそばがきとは趣が違うものである。
普段、私がそばがきに使っているそば粉は丸抜きを石臼で挽いたものである。50メッシュなので、そばがきにしても滑らかで、舌触りがよい。
大半のお客様は、やわらかめの今風のそばがきを好むようである。
昨日のお客様も「昔食べた味と違いますね。作り方は・・・?」と訪ねられたので、そば粉の倍の水でといて、強火に掛けて、練り上げていくのですよと答えました。
今度自分でやってみるそうです。美味しい蕎麦掻が出来るといいですね。
君盃酒造 2
渭城朝雨浥輕塵
客舍青青柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽關無故人 唐詩 王維
さて、皆さんは、この七言絶句から、何を見出しますか。
嘗て、君盃酒造はの旧名を駿河正宗といいました。戦後、昭和25年から、「君盃酒造」という社名に変わりました。
そのときに参考にしたのが、上記、王維の「送元二使安西」という送別の情を詠った唐詩でした。
勸君更盡一杯酒 「君に勧む 更に尽くせ一杯の酒」と読みます。
平たく言えば「さあ君、もう一杯やりたまえ。」ということです。
君盃酒造のお酒であなた一緒に飲みましょうよ!。
いいではありませんか。蕎麦の席にぴったりの雰囲気です。
この香り、この口当たり、食前酒は袋吊り雫酒 純米酒 生(一般に売られている大吟醸酒より、香り穏やかで、旨く、コストパフォーマンスがすばらしい)、食中酒は特別本醸造酒で、盛り上がることうけあいですね。
日本酒離れが進んでいるといわれておりますが、このような上質の酒を飲んで、日本酒を再評価をして戴きたいものです。
親子二人で作る地元密着の珠玉の酒。健康に注意してい頂き、益々美味しい酒を目指してほしいものである。
次には、純米酒「天領の瀧」を飲んでみたいと思います。
君盃酒造へ
かけ蕎麦が美味しいと誘われたのだが、目指すそば屋が休み。
残念というほかはない。
「安倍川もち」の老舗を横に見ながら、安倍川に掛かるみろく橋を渡る。
案内係の従兄弟のMA氏が、急に車を止めた。「えっ!。」とめた理由が理解できないで要ると、「酒を買っていきましょう。」言った。
こんなところでと思って店に入る。
手越の「君盃酒造」なのだ。以前に、「君盃は美味しいね。」と私が言ったことを
心に留めてくれていたのだ。
有東木の山葵にしても、手越の君盃酒造にしても、そば屋を営む私に話の種にも
なるだろうとの心配りであった。
お店には、にこにこしながら若い方が対応してくれた。後で知ったのだが、社長の息子英俊さんだった。
袋吊り雫酒 生 純米酒 と 木枯らしの森 特別本醸造を買い求めた。
従兄弟が「茨城でそば屋を営んでいる。」と紹介してくれた。
「前に飲んだ純米吟醸はおいしかったですよ。」と感想をいう。「有難うございます。」
こんなやり取りをしていると、話の聞きつけて社長の市川誠司氏と奥様が顔を出してくれた。
お話を聞く機会があったので、君盃酒造のことを聞いた。
昭和40年代までは、千石の生産量があったそうですが、現在は蔵人を使用せず、親子二人で150石程度の地元に愛される酒を手造りでじっくり製造しているそうです。
社長の話では、「舌触りが滑らかで、香りがスーと抜けていくよう酒」をコンセプトに作っているそうです。
飲んでみると、袋吊り雫酒 生 純米酒はまさにコンセプト通りでした。上立ち香はほんのりとフルーティ、口に含むとフルーティな米の香と甘味が広がり、とても口当たりが良い酒でした。
おもわず「旨い!」と声を出してしまいました。
社長の市川氏の思いが凝縮された見事な酒です。
香りが柔らかでフルーティなので、静岡酵母だ!と、決めて掛かっておりましたが、なんと茨城明利酒類のM310酵母とのことです。
これを聞いて、茨城人である私はすっかり嬉しくなり、君盃のファンになったしだいです。
義母に会いに
有東木の呼び名は「うとうぎ」か「うつろぎ」、どちらが正しいのだろうか。
そんなことを考えながら、くねくねと日光のいろは坂のような坂を下る。
安部街道を静岡市内の方向に、ハンドルを切る。
訪ねるのは、金久保橋をわたるとすぐに義母の介護施設である。
今年9月で94歳になる。受け答えはしっかりしているが、直ぐに忘れてしまう。
私が義母の手を取って、自分の名前を言うと「よく来たねー。うれしいよ。」
「いつも世話を掛けるねー。」と感謝の言葉が返ってくる。
妻にも「遠いところを会いにきてくれたの。ありがたいねー。」と見えない目を
声のするほうに向けるのである。
昨年秋ごろから、急に目が見えなくなったが、決して僻みなど口にしない。自然に感謝の言葉が出る。
謙虚さなどをなくしてしまった私などは、老いていく姿に教えられる思いである。
何とか目がよくならないかと医者に相談しても、見えるようにはならないでしょう。という返事でした。
やはり年なのでしょうか。
昼食時だったので、早めに施設を出た。
私達も、昼食をと、目指すそば屋に行ったのだが、残念! 休みであった。
山葵 発祥の地 2
山葵は固有の植物で学名を「ワサビア・ジャポニカ」といわれている。
静岡県のHPによると奈良時代の文献にもその名が出ており、鎌倉時代には食用にされていたようです。
わさびの栽培は、今から400年前、慶長年間に、現在の静岡市有東木で始まったとされています。
駿府に隠居していた徳川家康公に、有東木の庄屋がわさびを献上したところ、その香りとその独特な辛味を絶賛し、家康公のお声掛かりで有東木のわさびは門外不出の御法度品になったと伝えられています。
山葵にはこんな歴史があったのですね。有東木に案内されていなかったら、このような
山葵についての逸話も知らないままでした。
現地に赴き、その場所を見る。「百聞一見に如かず」ですね。
山葵田は黒い覆いがされているものや温室のように造られているもの、覆いがないものといろいろです。
どうしてなのか私には、その違いが判断できません。
訪ねた日は、激しい雨の中でしたので
人通りがありません。
曲がりくねった山道を上へ上へと登っていくと、お店のようなものがありました。
有東木のHP参照
JAの直売所でしょうか。残念ながら、この日はお休みでした。
案内役のMA氏が、知り合いがいるのでと
その家に向かう。
知り合いの方に、雨の中を案内されて、ついたところが、「わさびの門前」でした。
後で知ったのですが、ネットでも販売しており、有名なところです。
出荷する前に大きな山葵や小さな山葵といろいろ並べて選別中に、お邪魔を致しました。
その中の特大の一品を葉がついたまま買い求めました。
葉を取り除いて、本体だけを計量したところ、160グラムもありましたよ。
この特大の山葵、鮮烈な香りと清涼感ある味に感嘆いたしております。
こんな大きい山葵にはめったにお目にかかりません。
さすがに、山葵の本場ですね。
静岡 山葵発祥の地
妻の関係の葬儀に出席のため、今週の初め静岡に向かった。
今年に入って、特に葬式が多くなった。
昨日の金曜日は、そのために、臨時休業。予約していただいた方には
申し訳がありませんでした。即、おことわりのメールを送った。
葬儀が終わって、次の日、従兄弟がそば屋を営んでいるのならと、雨の中をわざわざ
山葵の発祥の地、有東木に案内してくれた。
有東木(うとうぎ または うつろぎ と呼ぶ。)
静岡駅からだと時間にして小一時間は掛かるであろうか。可なりの距離である。
悪天候の中をわざわざ車を走らせてくれたMA氏には心から感謝の意を表したい。
県道29号線を梅が島に向かう安倍川沿いに車が走っているので、安倍川と
平行してその場所があると想像していたが、
それとは違って、車は山の上へと向かった。
かなりの急斜面を車が登っていく。こんなところに、山葵田があるのであろうか。
そんな疑問が頭を横切った。それほどの山の上にあった。標高差は600メートル
という。
北と東西の三方に囲まれた70数個の家が点在している。今の時代であれば
このようなところに、生活の場所を作ることはないであろうあるが、大昔、戦いに
敗れて落ち延びたとも、また、金の採掘のために住み着いたとも言われている。
山葵田であるが、川の本流にあると勝手に想像していたが、写真のように本流から外れて、作られていた。
当日は、雨の日であったので、水流が多かった。この本流に山葵田を作っては、山葵が流されてしまう。
その様な危険を避けるためにも、本流の
脇に作るのであろうか。
うとうぎのお話は続きます。















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