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片山虎之介氏の「蕎麦屋の歩き方」に触発されて

 フェースブックで「いいね」で紹介されていた片山虎之介氏の
蕎麦屋の歩き方 第12回 蕎麦は昔のままがいい〜4」に触発されて、少し「蕎麦の話」を書いていこうと思う。

 このシリーズは、経験豊富な蕎麦職人が、申し合わせたようにつぶやく「昔の蕎麦は、おいしかった!」という言葉から、片山氏も「昔の蕎麦は、ほんとうにおいしかったのか。」との答えを探すべく、蕎麦の食べ歩きを始める内容になっている。

 「ひょっとしたら、地方の小さな村や町に、そういう伝統が細々と残っているということはないのだろうか。」という期待を込めながらの蕎麦の食べ歩きの記事は、蕎麦屋にとっても大変興味をひくものである。

 さて、私なりの経験談をお話したいと思う。

 個人の経験談なので、江戸時代等の話ではない。私の子供の頃、祖母や母が打ってくれた蕎麦の話である。

 時代は戦後間もない昭和20年代である。

 まだ、その頃は、近くに蕎麦を挽いてくれる製粉所があった。


 蕎麦を蒔くときは、決まって8月25日と決まっている土地柄である。
Soba2_2

Soba1_3

 蕎麦の収穫は75日と云われている。天日で干され、きねでたたかれて、玄蕎麦が収穫される。その後、唐箕でゴミや石が選別される。

Soba4_2

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 これではまだ、ごみや泥が残っている。製粉所で磨きがかけられて、石抜きされてから製粉され粉になる。

 もちろん、蕎麦が打つ蕎麦は、十割そばである。つなぎは自然薯。そばは、今風の見事な細い蕎麦の姿はしていない。

 太くて短い麺をけんちん汁に入れて食べるけんちん蕎麦である。茹でたてという訳でなくしばらく置いた蕎麦である。ふにゃっと柔らかいのであるが、蕎麦の風味と甘みがあって美味しかった思い出がある。

 「昔の蕎麦は、美味しかった。」・・・今の時代の様に、美味しい食べ物が無かった時代である。美味しいものとは何かという比較も出来ない。

 その味は絶対的な存在として記憶に残っているのかもしれない。

 片山氏が追い求めている「蕎麦は昔のままがいい」という話とは違うかもしれないが、人の記憶と云うものは、絶対的なものなのかもしれない。

 (参考写真 蕎麦屋を始めたころは自家栽培をしておりました。)、

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