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沖縄への旅 4

  どうしても見ておきたかった、嘉手納米軍基地。夕暮れ時、道の駅「かでな」に到着する。Kadenakichi

 アジア最大とアメリカ軍基地と云われている。3700メ-トルの滑走路2本。基地の東側には「USAかでな・タウン」が広がっている。

 ここが日本かと疑う風景が広がっていた。戦後70年経った今でも、この状況を目のあたりにすると、日本の安全は沖縄の犠牲の上に成り立っていることを知る。

 

 「世界一危険な基地」普天間から辺野古への移転が決まっているが、沖縄の人々には、納得できないであろうことは容易に理解できる。

 日本の安全は、真の独立をはたして、自ら守っていく気迫から生まれるものであろう。いつまでも、沖縄の犠牲の上に成り立っていてはいけないであろう。

 こんなことを想いながら、宜野湾のホテルに向かっていた。

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沖縄への旅 3

 勝連城は、13世紀に築城された。

 15世紀、10代の城主、阿麻和利(あまわり)の治世が最盛期。地の利を活かした中継貿易で経済力と軍事力を持ち、首里王府とは別の道を歩もうとするが.、琉球王国に滅ぼされて思いはかなわなかった。

 現在の城跡もなかなかの威容を誇っている。Katuren04

 城壁の石垣はサンゴ礁の働きで形成された琉球石灰岩で出来ている。

 
Katuren05

 城の頂上は、標高約98メートルで、南は知念半島から北は山原(やんばる)までを見渡すことができる。勝連城からの眺めはとても美しい。

 写真は、頂上より、海中道路方面を望む。

 Katuren06


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沖縄への旅 2

 那覇市内の運転は、初めての経験でした。ナビがあるからと云っても土地がないので、高速に上がる場所を間違って、市内をうろうろ・・・。

 目的地に1時間遅れでした。海中道路の海の駅あやはし館(資料館)の一部を見て4島めぐりは省略致しました。

 夕暮れも近かったので、そく、勝連城跡に車を走らせました。Katuren01


Katuren02


Katuren03


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沖縄へ.の旅 1

 長く地元を離れていたので、付近の変化には驚かされた。

 その変化にはなかなかついて行けずに、町内の付き合いも戸惑っていたことを思い出す。

 それから、そうリタイアして16年が過ぎ去っていたました。

 その間、色々なことがありました。

 嬉しいことよりは、悲しい出来事が多かった。

 母が広い屋敷を一人で守っていたのだが、その心労が体に応えたのか、私が帰ってきた年の暮れに脳梗塞で倒れた。

 入退院をくれ返していたので看病の日に明け暮れた。とても、旅行に行くことなど出来ない状況であった。

 旅行の好きな娘が留学先のイギリスで亡くなったのが平成16年1月。蕎麦屋を開業して1か月も経っていない時期であった。

 オ-プンしてしまった蕎麦屋は止めるわけにはいかなかった。 妻は立ち直れないような中であったが、気丈夫にも、哀しみを耐え蕎麦の営業を手伝ってくれた。

 その頃、義母はいくらか痴ほう症になりかかって、老人ホ-ムに入ることとなっていた。妻の実家は、離れていたので行ったり来たりと大変な苦労をさせてしまった。

 これは今でも続いている。最近、義母の状況が安定しているので、旅行に行ける時間が取れると判断し、妻がまだ行ったことのない沖縄旅行を3泊4日で計画した。

 私は、生徒を引率して何回か沖縄に入っているが、妻は一度もったことがなかった。

 その短い旅行記を少し綴っていこうと思います。

 2月2日、ANA469便、羽田10時35分発で沖縄に向かいました。飛行中は揺れることもなく安定しておりました。 Ana


 13時30分那覇空港に無事到着。レンタカ-を借り、第一目的地である海中道路と4島めぐりに出発いたしましたが、沖縄での運転は初めて、いくらナビがあるからと云っても、不案内な土地で高速に入ると事を間違って那覇市内を堂々巡り。

 時間を取ってしまいました。海中道路の資料館の前についたのは4時ごろ。予定の4島めぐりは出来ずに、次の目的地、勝連城跡に。

 

Kaichudoro01


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